高齢者福祉論
社会的視点で考える
高齢者の『セルフネグレクト』
JEONG HEESEONG
鄭 煕聖
担当科目
ソーシャルワークの基盤と専門職、高齢者福祉論 他
今、もっとも関心がある研究テーマは?
自らの健康を顧みない社会からの『セルフネグレクト』
一人暮らしの高齢者が、『セルフネグレクト』に陥るメカニズムを解明する研究をしています。きっかけは、私が修士課程で一人暮らしの高齢者にインタビューをしたことでした。この方は、福祉施設を通して配達される一つのお弁当を一日に2回もしくは3回に分けて食べていました。栄養的な問題が生じる日々の食事について、本人は自覚がありませんでした。この状況は、本人の調理能力や経済的な問題だけではなく、社会からのネグレクトではないかとの思いから『セルフネグレクト』の概念に出会いました。『セルフネグレクト』はイギリスが起源で、自分のことを放棄することです。意図的か非意図的かに関係なく、結果的に不適切な居住環境や怠慢によって安全と健康が脅かされることで、ゴミ屋敷、病院の治療を利用しない、福祉サービスを利用しないことも含まれます。イギリスのセルフネグレクト研究に大きな影響を受けたアメリカでは大規模な実態調査が実施され、また認知症やかかえている病気から診断をした医学モデルを中心にセルフネグレクト研究が盛んに行われてきました。日本でも2006年、韓国では2008年から影響を受け、2011年には日本では約12,000人もの高齢者のセルフネグレクト該当者がいることが分かりました。支援が必要にも関わらず、接触拒否、介入拒否、サービス拒否があって、応じていなかった。あきらかに人数は氷山の一角でしかないと考えています。
その研究における醍醐味や、やりがいは?
医学モデルとは違う新しい社会的視点で、初めて予防的介入が可能となった
私が研究を始めた頃は、ほぼ医学的視点ばかりで、当事者の視点は明らかになっておらず、これは決めつけられた結果なのではないかと感じていました。『セルフネグレクト』のメカニズムを解明するには、社会学的視点が必要です。『セルフネグレクト』の当事者は、克服する意欲が低く、支援を必要としているのにも関わらず拒否するといった頑固な性格や特徴があるため、支援する側が介入に至るまでに数年かかります。また、たとえ何年もかけて高齢者との信頼関係ができたとしても、研究者がプライバシーにかかわる質問をすることで支援する側と高齢者の関係が崩れることもあり、調査協力を得るのが難しいときもありました。それは逆から言うと、本人から『セルフネグレクト』のきっかけを訊くことができれば、つまり、オリジナルなデータが得られれば、解決の糸口がつかめるということでもあります。2016年のインタビューでは、9人のうち6人~7人の家は、いわゆるごみ屋敷の状態でした。調査の結果、認知や発達障害等のそもそもの素因は今までの研究結果と同じでしたが、そこに、配偶者との離婚や病気、死別、または、行政とのトラブルなどのライフイベントがきっかけとなって引きこもりになり、無気力な状態となり、社会性と心理的な状態が絡み合って悪化していくといったプロセスが明らかになったのです。全員に何らかのライフイベントが存在した研究結果は、医学的視点とは明らかに違いました。この研究を通して、当事者視点という新しい視点に基づく予防的な支援といったアプローチが初めてできました。日本では、極端な『セルフネグレクト』の状態になってから発見されることが多く、加えて発見後も自治体や隣人、市民センターによる介入は難しく、専門職が1年か2年かけてやっと介入できても、そこからまた時間がかかってしまうため、危機的な介入が常でした。しかし、プロセスが明らかになったことで、いつ、どのように介入すればいいかが可視化され、その重要性を明確にすることができました。当事者の生活環境を大切にして、想いを理解しておくことが大切です。ひとりひとりのライフストーリーを聴くことがなぜ支援に必要なのかを、本人たちの語りを元に形にできたことにやりがいを感じています。
ご自身の研究領域で、どのように社会をデザインしますか?
誰にでも起こること、それが『セルフネグレクト』です
『セルフネグレクト』は、定年退職、離婚、家族との死別、事故といったライフイベントをきっかけに起こるということが分かりました。その他にも、行政手続きの複雑化、電子化による社会からの排除、健康保険の資格喪失、貧困、支援者の不在など、社会的要因によっても『セルフネグレクト』になってしまいます。望んでもいないのに情報が大量に届いてくる。大量生産、大量消費の社会には、大量廃棄もつきまといます。ゴミの分別に必要な労力を維持できなくなったばかりに、不本意ながらゴミ屋敷になった方もいるのです。支援する側は、意図性があるかどうかの裏側に、どういった背景があったのかを意識しながら、その人の人生を理解し、予防に取り組むことが大切だと思っています。高齢者が何かに困っているときには、助けてもらえる存在がなかったか、社会福祉学の視点から、もう一度考えて欲しいのです。年を取れば誰もが高齢者となります。つまり、高齢者の人生を考えることは、自分の人生を考えることと同じなのです。誰もが生きやすい、豊かな老後を過ごすために、今、自分に何ができるのか。経済成長の持続可能性と超高齢社会を、偏見や世代間の葛藤を乗り越えた差別ない社会、望ましい高齢社会のあり方から考えていきたいと思います。
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