DESIGNING SOCIETY
社会をデザインする
多様な人々が「違い」によって否定されることなく、生活していくことのできる社会構築の方法が求められています。
社会学部では、いま起こっている社会問題の原因を分析し、解決していくための方法を探っていきます。
人間の多様性を理解する力は、意図的に訓練を行わなければ身につきません。
対話と相互理解を目標とするコミュニケーションのスキルを磨いていく必要があります。
社会学部では、大学4年間での教育と訓練を通じて「多様な存在である個人」を理解し、尊重することができ、
実際に社会問題を解決していく方法を考案できる実践力のある人材の育成をめざしています。
社会学部では、いま起こっている社会問題の原因を分析し、解決していくための方法を探っていきます。
人間の多様性を理解する力は、意図的に訓練を行わなければ身につきません。
対話と相互理解を目標とするコミュニケーションのスキルを磨いていく必要があります。
社会学部では、大学4年間での教育と訓練を通じて「多様な存在である個人」を理解し、尊重することができ、
実際に社会問題を解決していく方法を考案できる実践力のある人材の育成をめざしています。
FACULTY MEMBERS
教員紹介
部屋を片付けていたら、自分が大学1年生だった時の「レポート」が出てきました。手書きのプリントでした。当時の私は、一体どんなことを書いたのか、改めて読んでみました。すると、現在の自分と全く同じ「考え」が書かれており、自身の普遍的な「根幹」になっていることを再認識しました。学生の皆さんにとって、この4年間の大学生活は、今後の長い人生の「基盤」をつくる、とても大切な時間だと思います!
閉じる
大学での学びは自分で「問い」を見つける必要がある,などと言われることがおそらくあります。しかし,いきなり「問い」を立てろと言われても難しいと感じないでしょうか。「問い」とは何も大それたものである必要はありません。とても些細なものでも,「そんなこと考えてなんの意味があるの?」と言われそうなものでもいいでしょう。生きているとなかなか「問う」という時間や余裕はもてないものです。そんな中で少しでもいいので,「問い」を探すことを意識してみませんか。
閉じる
私が主な研究対象としている「貧困」とは、生きるために必要とされる様々な「モノ」が、恒常的に不足・欠乏し、生活に困窮した状態のことをいいます。現代社会においては、必要な「モノ」は、お金を払って購入することが一般的であるので、貧困を、まずは「お金がない」状態として理解することもできます。だから貧困についての研究は、わたしたちが暮らすこの社会の中に、なぜ必要な「モノ」を買う「お金」がない人が生み出されてしまうのかについて考えることから始まります。そして、貧困におかれた状態が長期にわたった場合、その状態にある人々にとっては、不安定な健康状態や精神的ストレス、生活習慣の解体、あるいは十分な教育が受けられない等、様々な生活問題をひきおこすことがあります。貧困についての研究は、生活に困窮した人々が様々なかたちで直面する苛酷な状況に焦点を当て、どのようにすればその状況は改善されうるのかを問い直す作業であるという側面を必然的にもつことになります。
貧困という「問題」へのアプローチの仕方には様々なものがあると思いますが、とりわけ私が興味を持って考えているのは、先進国の一員として「豊か」になったはずのわが国において、しかも誰もがそれを「解決すべき」とか「なくなってほしい」と考えている(はずである)にも関わらず、なぜいまだに貧困が存在し続けているのか、ということです。このことについては、ぜひみなさんとも一緒に考えていきたいと思っています。
貧困という「問題」へのアプローチの仕方には様々なものがあると思いますが、とりわけ私が興味を持って考えているのは、先進国の一員として「豊か」になったはずのわが国において、しかも誰もがそれを「解決すべき」とか「なくなってほしい」と考えている(はずである)にも関わらず、なぜいまだに貧困が存在し続けているのか、ということです。このことについては、ぜひみなさんとも一緒に考えていきたいと思っています。
閉じる
パソコンの操作が上手な人でも、パソコンがどのようにしてうごいているのかという「仕組み」まで理解している人は少ないでしょう。「仕組み」を知らないままでは、故障したときに対応できません。社会についての知識も同じです。変化の激しい時代では、昨日まで通用していた「操作方法」が使えなくなることが多くあります。この事態に対応するためには、社会の「仕組み」を知らなければなりません。そんな「仕組み」を学ぶ社会学を一緒に勉強しましょう。
閉じる
大学生のときにしかできないことが、たくさんあると思います。社会人として働くようになると、「大学時代にやっておけば・・・」と後悔することが、多かれ少なかれ出てくるものです。大学に籍を置いて、豊富な時間、何でも話せる友人、自分の関心事に応えてくれる教員などを手に入れ、やりたいことを積極的にやってみてください。
閉じる
なにかを知って理解すると、それ以前の自分には戻れなくなります。学ぶことによってあなたは変わりつづけるでしょう。いまの自分が望むことや正しいと思っていることすら変わるかもしれません。それは絶え間なくゆらぎつづける不安定さと迷いと内省をもたらすことでもあります。じつは確実なことは誰にもわからないのです。ただそのとき、たとえば本学の校訓「人になれ 奉仕せよ」という言葉を思い出してみると、先に進むきっかけをつかめるかもしれません。「より善いことは何なのか」と試行錯誤をくりかえしながら、前へ進んでみてください。
閉じる
これからの社会を担う市民として、「共に生きる社会」を考える
社会のなかには、じつに様々な立場におかれた人々が暮らしています。これからの社会を担う市民として、皆さんには共に生きる他者、とりわけ社会的に弱い立場におかれた人々に敏感であってほしいと思います。人々はそれぞれどのような困難を抱え、その背景にいかなる社会の構造があるのか。そしてこれからの社会はどうあるべきなのか――。
「他者を理解する」という営みは、それ自体、構造的に暴力的な側面を抱えています。しかしそれでも、多様な背景をもつ他者の生きる世界を理解することは市民として欠かせないことです。皆さんにはぜひそのような視点をもち社会を考え、「共に生きる社会」を構想する力を養っていってほしいと思います。
「他者を理解する」という営みは、それ自体、構造的に暴力的な側面を抱えています。しかしそれでも、多様な背景をもつ他者の生きる世界を理解することは市民として欠かせないことです。皆さんにはぜひそのような視点をもち社会を考え、「共に生きる社会」を構想する力を養っていってほしいと思います。
閉じる
自分のできること、やりたいことを拡げてほしいです。
私の二人の祖父は、二人とも大変学業優秀でしたが、幼少期に父親を亡くし、貧困や戦争のために満足な教育を受けることが出来ませんでした。晩年、祖父らが「勉強したかった」と話すは、教育とは限られた時代と環境を生きることができる者の贅沢品である、と私に印象付けました。私自身の受けた教育は、ほんの少しのきっかけでそれを失ったかもしれません。世界中では、特に女性の教育機会は未だ困難なものであり、また日本でも経済格差や子どもの貧困が注目されるようになりました。皆さんには、大学教育を通じて様々な問題について学び、自身の置かれた環境を再考するとともに、自分が社会に対して何をすることができるか、社会福祉が何を成しえるか、を一緒に考えていってほしいと思います。
閉じる