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社会学は「何でもできる」?――スペシャリスト/ジェネラリストになるということ

教員コラム
2024.12.12
現代社会学科
藤浪 海

「先生や友だちから『社会学は何でもできる』と聞いて、社会学部を選びました」――社会学部に入学した理由を聞くと、学生からしばしば、このような答えが返ってきます。

たしかに社会学の対象とする領域は広いです。環境、ジェンダー/セクシュアリティ、労働、地域社会、福祉、メディア、家族、人種/エスニシティ、教育など、多種多様な領域が対象となります。入学前に関心がはっきりと決まっていなければ、このように幅広い射程をもった学問を選び、入学後に関心を定めていこうとするのは、ごく自然なことでしょう。それ自体、悪いことでも何でもありません。

ただ、多様な領域を対象にしているのは、実はほかの社会科学でも同様です。たとえば環境問題一つを取ってみても、経済学(環境経済学)や法学(環境法学)、政策研究(環境政策論)、教育学(環境教育学)などからのアプローチが可能なはずです。もちろん環境問題だけに限らず、労働問題も、都市問題も、家族問題も、そしてジェンダーをめぐる問題も、様々な社会科学からアプローチできます。こうして考えてみると、「何でもできる」のは社会学に限らないのではないかと思えてきます。

それにもかかわらず、なぜとくに社会学が「何でもできる」と言われるのでしょうか。その背景には、おそらく社会学における視点や方法論の多様さがあるのでしょう。多種多様な社会問題を取り上げることができるだけでなく、それらに対して様々な形でアプローチできる――こうした社会学の柔軟さが、「何でもできる」イメージを生んでいると思われます。

ですが、社会学のこうした特徴は、社会学を学ぶ学生における一種の「難しさ」も生み出します。学生たちは、多様な領域について、様々な視点・方法論から学びます。その結果、自分が一体何を学んでいるのか、分からなくなってしまうという問題です。

これはとても悩ましい問題なのですが、しかし特定の社会問題について考えるうえで、その領域のことだけ学んで/知っていればよいということは決してありません。なぜなら、一つの社会問題を取ってみても、実はそこに複数の領域の力学が、複雑に絡まり合って生じているからです。

たとえば私が専門とする人種/エスニシティをめぐる問題は、地域社会や環境、階層、能力(障害)、軍事/平和、ジェンダー/セクシュアリティをめぐる問題などと、実は相互に深く関わりあって生じています。ですから、それら領域に関する一定の理解がなければ、人種/エスニシティをめぐる問題への理解も深めることはできません。

これと同じことは、福祉に関しても、労働に関しても、教育に関しても、ありとあらゆる領域についていえます。そして、それぞれの関係の仕方が多様で、問題の立ち現われ方が様々であるからこそ――言い換えれば、社会問題というものがとても「やっかい」で「複雑」であるからこそ――社会問題を読み解くために、多くの道具立て(視点や方法論)が必要となるのです。

こうして考えてみると、社会学は「何でもできる」というよりも、社会学は「何でも学ぶことが大切」という言い方のほうが適切かもしれません。社会学を通して特定の社会問題を理解するということは、様々な領域について幅広く学び、それらの知識・知見を有機的に結び付けることで、その社会問題を多角的に読み解けるようになるということなのです。

それはすでに自分の問題関心が定まっている人にとって、一見して遠回りに映るかもしれません。しかしこうした姿勢こそが、特定の社会問題への、深く、新しい理解の仕方につながっていきます。社会学において、何かの「スペシャリスト」になっていくことは、実は様々な社会問題に関する「ジェネラリスト」となっていくことと同時になされるのです。社会学を学ぶ皆さんには、ぜひ、このような姿勢を大切にしてほしいと思います


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