本学の社会福祉士の養成課程では、実習を2回に分けて実施し、「ソーシャルワーク実習Ⅰ」は2年次終わりの春休み中に10日間程度、「ソーシャルワーク実習Ⅱ」は3年次の夏~秋に23日間程度、実施しています。このうち、「実習Ⅰ」では、障害、高齢、児童の施設などで、実際に利用者とふれあい、協働作業やコミュニケーションを多く取ることを目的としています。「実習Ⅱ」では、ソーシャルワーカーとしてより実践的な、アセスメント、支援計画、実施と評価まで踏み込んだ内容を行います。
実習Ⅰを経験した学生からは、ほとんどから、緊張を乗り越えて「楽しかった」という声が聞かれます。講義を離れて初めての本格的な実習では、事前に思っていた不安や緊張より、実際に人と関わる喜びや楽しさを実感し、送り出す側としても嬉しく思います。
しかし、実習Ⅱでは、長期間でより踏み込んだ内容になるため、‘楽しい’の次にある、別な感情や葛藤を経験してきます(それでも最終的には「楽しかった」は皆言いますが)。過去、実習生が話した、忘れられない言葉を紹介したいと思います。
『よく生きていてくれていたな、よくここに辿り着いてくれたな、って思います。(涙)』
この言葉は、厳しい虐待環境で育った子どもの背景を知った実習生の言葉です。
児童虐待があることは知っているし、将来仕事として関わりたいと思っている、そのための実習でした。
しかしその言葉を絞り出す学生は、これまで「事例」として知識のあることとは異なり、「この子」をリアルに感じ、苦しく辛い思いを経験しています。
また別の学生は、
『こんなにも誰かの幸せを願ったことはなかった。』
と、実習の終わりに語っていました。
「福祉」とは、「福」も「祉」も、しあわせを意味する言葉です。
しかし、実際に現場では、幸せどころか自分たちが何も役立つことが出来ず、
「出来ることがない」圧倒的な現実を突きつけられることも多々あり、
人の生老病死に関われば、支援とはほど遠く、自分の無力を感じるしかないこともあります。
しかし、無力感や諦めとは異なり、ただ上手くいってほしい、幸せになってほしい、と願うことには、
人に関わる職業では大きな意味があると思っています。
これを、「受容」や「共感」といった言葉で置き換えることもありますが、学生たちの感じたことやその語りからは、もっと福祉の原点である「人の幸せ」を祈ったり、それを一緒に喜んだりすることの重要性が含まれているのではないかと思います。
学問として学んできた社会福祉は、現場実習においては、「誰か」を明確に意識し、その人のために自分は何が出来るかを必死で考え、しかも何も出来ることがない場合には、ただただ辛く思ったり、今を理解し共有すること、その先の幸せを祈るしかないような経験をしてきますが、実習生のその経験は、きっと忘れられない濃いものとなると思っています。今年もその経験が聞けることを楽しみにしています。