入学者選抜情報

ニュース

ホーム > 教員コラム > 「平野文書」と憲法第9条=幣原発案説

「平野文書」と憲法第9条=幣原発案説

教員コラム
2023.08.09
現代社会学科
中村 克明

前回のコラム(2022.12.21)でも書きましたが、私はここ数年、憲法第9条の制定過程について
研究しています。
とりわけ関心を持っているのが、第9条=戦争放棄条項の発案者は誰かということです。
これに関しては、いろいろな説がありますが、現在、有力に主張されているものの一つに、戦後間もなく首相となった幣原喜重郎による幣原発案説があげられます。
その中でも近年注目されているが、 歴史学者である笠原十九司氏の見解です。

笠原説の特徴は、何といっても「平野文書」といわれる文書を「憲法九条幣原発案証明の決定的傍証史料」として重視していることです。
この文書は、幣原の「秘書役」であったとされる元衆院議員・平野三郎が記録したもので、ここには――他の「史料」には、まったくみられない――幣原が「戦争放棄を憲法の条項にするようマッカーサーから『命令として出して貰うように』したと述べ」(塩田純『9条誕生:平和国家はこうして生まれた』岩波書店,2018,p.74)たことなどが書かれています。
学界では、「平野文書」は平野による「捏造」「偽造」文書であるという見方が圧倒的ですが、笠原氏はこれを否定し、同文書は制憲史の真実を写し取った真正の書であるとします。
ですから、その内容に誤りがあることは許されません。
そこで、「平野文書」と歴史事実との間に矛盾や齟齬がみつかれば、笠原氏は独自の解釈や「推測」を行って、それを解決しようとします。

例えば、「平野文書」では平野が幣原から話を聞き取った日を「昭和二十六年二月下旬である。……、まとまったお話を承ったのは当日だけであ」るとしていますが、笠原氏はこれは彼の「記憶違い」であるとして、平野が執筆した他の著書の中から適当な記述を探し出して、「……幣原の秘書役をつとめていた平野は、暇なときに……幣原邸を訪ねて、いろいろと憲法について話を聞いていたのである。『平野文書』に書かれているような一日ではなかったことは明瞭である」(笠原『第九条論争:幣原喜重郎発案の証明』[平凡社新書;1027]平凡社,2023)と述べるのです。
なぜかといえば、「平野文書」に書かれた「昭和二十六年二月下旬」に該当する日が実際にはなかったことが、ある憲法学者の調査で明らかになったからです。
また平野は、同文書は当時の自筆メモを基に記したものであるとしていますが、彼が憲法調査会(内閣)へのその提出を拒否したことがわかると、笠原氏は「簡単なメモは作っていたようである」(笠原『第九条論争』p.316)が、「平野文書」はメモによるものではなく、その大半は平野の記憶に基づいてまとめられたものであるといい出しました。
平野は、記憶力がよかった“ようだ”というのが、その理由のようです。
でも、幣原から話を聞いた日を「記憶違い」しているような人が、とても記憶力がよかったとは思えません。
何ともお粗末で、場当たり的、ご都合主義的な議論ではありませんか。
笠原氏の議論は、すべてがこんな調子なのです。
これで、「平野文書」をいくら信じろといわれても、それは無理でしょう。
私にはむしろ、笠原氏は「平野文書」の虚偽性を一生懸命、証明しているようにみえます。
ですから私は、「平野文書」も、これを弁護する笠原氏の見解も支持しませんし、第9条=幣原発案説も採用しません。
私個人は、戦争放棄条項の憲法への挿入は幣原と連合国軍最高司令官・マッカーサーによる、いわば“合作”であったと考えています。

笠原氏は、「史料の裏付けもせずに、推測だけで論理を展開している」(笠原『憲法第九条と幣原喜重郎:日本国憲法の原点の解明』大月書店,2020,p.281)として、幣原発案説以外の諸説を唱える論者を手厳しく批判します。
しかし、それは本来、ご自身にこそ向けられるべき発言であったように思われます。
これほどの高名な歴史学者でさえ、先入観にとらわれる(ここでいえば、「平野文書」=真実)と、こうなるのです。
「史料」に即した厳密な議論が強く望まれるゆえんです。


ADMISSION

入学者選抜情報
関東学院大学では、受験生一人ひとりが実力を発揮できるように、
多彩な選抜試験制度を用意しています。
下記から受験方式、日程、受験可能な学科などを絞り込んで、あなたに最適な受験方法を探してみてください。