先日の授業で、若い頃に太平洋戦争を経験した高齢の女性のインタビューを取り上げました。授業の趣旨は、私たちの経験は時代状況によってそのかたちが変わることを考える必要があるというものでした。
さて、授業をしながら、私の頭の中にとある記憶がふとよみがえってきました。それについて今回は書いてみようと思います。
吉野朔実(よしのさくみ)は、私の大好きな漫画家のひとりです。彼女の作品のひとつ『記憶の技法』は2002年に月刊誌に掲載されていたものです。それを実写映画化したものが2020年に公開されました。とある記憶とは、この『記憶の技法』をめぐるものです。『記憶の技法』は、主人公の華蓮(かれん)が思い出すことのできない幼い頃の記憶を探すという内容ですが、ここでは物語の冒頭のエピソードにだけ触れようと思います。
まず、2002年の漫画版(映画の原作)の冒頭のあらすじを紹介します。華蓮は韓国への修学旅行をひかえていて、パスポートの準備のために戸籍抄本を高校に提出することになりました。そして、クラスの友人たちとは違って自分の抄本にだけ何やら「民法第……」と書かれていることに気づきます。その文言を覚えられなかった彼女はもう一度区役所で抄本をとり学校の図書室へ行きますが、法律の本はなく調べることができませんでした。そこで区の図書館へ行ってみます。すると、学校で「危ない」と噂されている大人っぽい男の子がパソコンを使ってネットで調べものをしているところに出くわします。彼は、意外にも、華蓮が「民法第……」について検索するのを手伝ってくれ(華蓮はパソコン初心者です)、検索の過程を見守り、さらには「大事なことだと思うから」と検索結果をプリントアウトすることまですすめてくれたのでした。
次に、2020年の映画版の冒頭を紹介します。ここまで読んでもう想像がついているかとは思いますが、2020年の映画版では華蓮は「民法第……」についてあっさりスマホで検索します。そして、その結果をひとりきりで見るのでした。
映画館で観ていたのですが、思わず「えっ!」と心の中で声を上げてしまいました。というのも、漫画版では区の図書館での出来事をきっかけにして、抜け落ちている幼い頃の華蓮の記憶を探しにふたりで旅に出るというストーリーになっていたからです。家族には修学旅行へ行ったふりをして、友人たちにはうそをついて修学旅行を休んだうえでの旅です。自分ひとりで検索して結果を知ってしまったら、その先のストーリーが変わってしまうのではと思ってびっくりしてしまったのですが、全体のストーリーはさほど変わってはいませんでした。
もちろん、漫画も映画もこの冒頭のエピソードではなく華蓮の記憶を探す旅が中心的に描かれています。とはいえ、これも時代によって経験のかたちに違いがあることを端的に表している例ではないかと思います。
「調べもの」は、大学では必須の行為です。とても便利になりました。この便利さをより実感するためにも、今度はスマホを使わない「調べもの」を授業でやってみて、両方の経験を比べてみるのも楽しいかもしれないなと思っています。
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