ポルトガル北部の古都・ギマランイスと東京ディズニーシー(以下TDS)。片方は本物=オリジナルで、もう一方はインチキ=コピー?でも、僕は、この二つに共通のものを見てしまった。後編はギマランイスのヴァーチャル性について考えてみよう。
観光地、だからレストランのお客も観光客
旧市街にたくさんあるレストラン。そのメニューを見てみる。ポルトガルのレストランでは日本と同様、その多くは「本日のランチ」といったようなコース、あるいはセットメニュー=”Prato do dia”が用意されている(パン、スープ、メインディッシュ、デザート、コーヒーのセット。ワイン付きもある)。そして、このエリアのレストランにも同様のセットメニューがある。ただし表記は本日のランチではなく”Menu Touristica”、つまり「旅行者向けメニュー」だ。供されるものも、この地域の名物の臓物のリゾットや豚肉料理だ。広場に座ってくつろいでいるポルトガル人たちも、ほとんどが旅行者。
ギマラインス旧市街の中心。オリビエイラ広場。観光客が集まって説明を受けている。
同質のホスピタリティ
ここはポルトガルでも有名な観光地。そして、前回お知らせしたように世界遺産に登録され、今年は欧州文化首都にもなっている。ということは、この旧市街はギマランイスの人々によって徹底的に観光化され、かつての街並みが忠実に守られているということになる。それは、とどのつまりTDSが完全なフェイクで、絵に描いたような地中海、イタリアの田舎町を再現するのと何ら代わりはないということを意味する。ただひとつ違っているのが、その建物が見た目だけなのか、10世紀以上も前から立てられ続けてきた本物なのか。つまり、建物だけが本物と偽物という区別があるだけで、そこで行われていることは実質ほとんど差がないといっていい。だから、僕がここで堪能している旅情、実はTDSで感じているものと、基本的には同じということになる。
ヴァーチャルをリアルとして維持する、実はこれが文化?
しかし、である。コロコロと視点を変えるようで申し訳ないが、やっぱりTDSとは根本的に違うところが、ひとつある。それは、ここに市民が暮らしていることだ(あたりまえだが、TDSはレジャー施設なので、市民はいない)。TDSはこの空間を建設した企業(オリエンタルランド)が環境を維持している。そして、この環境を維持しようとアイデンティファイしているのはTDSを運営するキャスト=従業員たちだ。だが、ギマランイスの旧市街では、ここに暮らす市民たちが、その役割を担っている。そして、もちろん、彼らはこの歴史的遺産としての街並みにアイデンティファイしている。
この二つの違いは大きい。市民たちはこの遺産をみずからの誇りとして位置づけ、この維持を徹底的に続けようとする。だから旧市街にはモダンな空間が一切存在しない。その一方で旧市街を離れた瞬間、今日的空間が広がり始める。マンション群、住宅街、巨大なショッピング・モール、そしてサッカースタジアム(“エスタディオ・D・アフォンソ・エンリケス”サッカー・ポルトガルリーグ、ヴィトリアSCのホームでもある)まで。
ギマラインス郊外の団地。オリビエイラ広場から徒歩10分くらいしかかからないところにある風景には、ちょっと思えない。オリビエイラ広場はこの写真の左側だ。
近代と中世の共存というアイデンティティ
ギマランイスの市民たちは、その多くが郊外に暮らし、産業に従事するとともに、この旧市街を維持することで、みずからがここの市民であるという意識をメインテナンスし続けているのだ。そして、そういった精神によって出来上がった古都という空間は、徹底したヴァーチャルな空間で、それを僕たち観光客が享受する。さらに、こういったかたちでギマランイスの町が欧州、そして世界に認知されることで、それが市民たちの地域アイデンティティをメインテナンスしていく。だからこそ、産業によって潤ったこの町は旧市街とその周辺の新市街に明確な分節線が引かれているのである(この時、唯一犠牲になったのが、丘の上から町を一望したときの風景、つまり僕ががっかりしたものということになる)。そして、こういった”精神のメインテナンス”こそ、実は文化と呼ばれる営みの本質なのではあるまいか。
だから、ギマランイスという町はこれからも発展を遂げるとともに、人々の地域アイデンティティも生き続けていく。その重要な要素として、旧市街は市民にとっての新しい意味を再定義され続けているわけで、当然、これからも町のシンボル的存在として位置づけられていくだろう。都市という空間は、やはり町の人々の精神、そして文化を象徴するメディアなのだ。