古都ギマランイス、実は近代都市だった?
三月、ポルトガルの北部、ポルトの東60キロほどのところにある都市、ギマランイス(Guimarães)に滞在した。この都市はポルトガルを建国したアルフォンソ・エンリケスが誕生した地、つまりポルトガル発祥の地として有名だ。町自体が世界遺産にも認定され、今年はEUが指定する欧州文化首都(EUがEU圏の歴史的文化遺産を備える都市の中から1〜2カ所を選び、一年間、集中的に広報やイベントを行う事業)にも指定されている。日本で言えば奈良のような古都に、国を挙げての(この場合”EC挙げての”だけれど)行事を開催すると考えてもらえばいいだろうか。ここにはポウサーダ(スペインのパラドールに相当する城や要塞、寺院などを改装したホテル・チェーン)が二件ある。一つは16世紀に立てられた修道院、もう一つは13世紀に立てられた領主の館を改装したもの。“historic hotel”なので、是非泊まってやろうとやってきた。地図を見る限り、こぢんまりとした町のようなので、こりゃさぞかし古い街並みがいっぱいあって旅情に浸れるんじゃないかと期待ワクワクで現地に向かったのだが……
ところが到着してみると、どうも様子が違う。駅周辺はごく普通の地方都市の繁華街だった。宿泊した修道院を改装したボウサーダ・デ・サンタマリーニャは丘の上に建ち、ギマランイスの街並みが一望できる。ところが、そこからはモダン建築のビルが結構いっぱい建っているし、団地もたくさんみえる。「う〜む、これはどういうことなんだろう?」。つまり”奈良にビルがぼんぼん建っているという状態”なのだ。僕はその意外さに、別の側面からこの町に関心を持ってしまった。
丘の中腹・修道院を改装したホテル、ポウサーダ・サンタマリーアから町を見下ろす。旧市街(写真中央やや右、オレンジ色の部分)がビルに囲まれているのがよくわかる。 |
ギマランイスの二つの顔
ギマランイスは80年代初頭には人口2万人程度の、まさに観光だけが目玉の都市だった。だが、その後、近郷のポルトガル第二の都市・ポルトの繁栄に伴って織物、靴、金属機械を主軸とする、ポルトのサテライト的な工業都市としてめざましい発達を遂げる。また周囲の町村と合併したこともあり、現在は16万を超える人口を抱える中堅都市に変貌した。実際、ポウサーダの周辺にもたくさんの団地が建ち並び、市民たちの暮らし向きも、ポルトガルがEUのお荷物と呼ばれているとは思えないようなリッチさだ。
こうやって、資料を紐解きながら考えてみると、この町への僕の違和感は納得のいくものとなる。つまり産業化によって「古都」というイメージはかなり払拭されてしまっているというわけだ。
ところが、である。散歩がてら、町の中心である旧市街を訪れてみると、驚いた。街が中世のままなのだ。そして、こちらのポウサーダに移動してみると、本当に歴史の中にタイムスリップしてしまった感じになる。街の中にはモダンなものがほとんど見当たらず、そのまま映画のセットとして利用しても十分可能なほど。いやセットは偽物だけど、こっちは本物だから、もっとリアルに感じられる。こんなふうに思えてしまったのだ。
旧市街の中でよぎったもの、それは東京ディズニーシーだった
旧市街の中心、オリビエイラ広場にあるオープンテラス・レストランでランチをとりながら、ふと、僕は妙なデジャブに襲われた。「この空間、以前、訪れたことがあるような気がする」。しばらく考えてみると、そのあてがわかってきた。それは……東京ディズニーシー(以下TDS)のメディテレーニアンハーバーだ。ということは、このレストランは、さながらTDSの中にあるイタリア料理店リストランテ・デ・カナレット。ヴァーチャルのもの(TDS)がオリジナルになって、リアル(ギマランイスの旧市街)を見てデジャブを感じるってのはおマヌケな話だけれど、とにかくヨーロッパの街中の広場で太陽を浴びながら食事というのは、TDSで真っ昼間からワイン飲んで食事している(ポルトガル人のお昼にはワインはつきものだ)のと同じ気分なのだ。やれやれ。
「いやいや、実によくできている」って、本物だからあたりまえなんだけれども……。しかし、よくよく考えてみると、これ、実は「あたりまえなんじゃないんじゃないか?」ふと、僕は思いを改め始めた。TDSとギマランイスの旧市街、僕はそこに共通項を見いだしてしまったのだ。(後編へ続く)
ポルトガル北部・ギマランイス旧市街のランド マーク・オリビエイラ広場 |
東京ディズニーシー・メディテレーニアンハー バー。 |
左の写真とこれが同じ場所だと嘘をついても、日本人にはほとんどバレそうもない風景。