人と人の間には盃がある!?
私の専門領域は心理学ですが、最近、興味を持っているのは、「人と物」や「人と人」の関係についてです。
たとえば、人がある物を使うとき「これは使いにくいな」と感じることがあります。
この使いやすさの感覚、つまり、人と物との関係を表現するときに
「インターフェース(中間面とでも訳されるのでしょうか)」という言葉を用います。
しかし、この両者間に介在するインターフェースは、確かに感覚としては存在するのですが、目に見えません。
この関係性を明々白々にするにはどうしたらよいのでしょう。
そんなことを考えていると、ふと、面白いことに気づきました。
人間、仲間、世間、民間、空間、居間、時間、昼間、夜間、瞬間、期間、手間・・・と日常の言葉の中に
「間」が数多く入っているのです(読み方は「あいだ」、「ま」、「かん」、「げん」など様々ですが)。
なぜ、「人」でよいところに「人間」とするのでしょう。「時」でもよさそうなのに「時間」というのでしょう。
昔の人は、手や人、時や空などそれ自体で単独に存在するのではなく、
関係によって事物は存在すると思っていたのではないでしょうか。
つまり、インターフェースの大事さを知っていたので、わざわざ「間」という漢字をつけたのかもしれません。
ところが、現在、この大切なことが忘れられた物が私たちの周りにあふれかえっています。
分厚い取扱説明書付きの電子機器、無機質な音を出し続ける自動発券機などなど。
機能は充実している一方で、それを使う利用者への配慮を欠く製品が数多く見受けられます。
それにもかかわらず、私たちはこういった物を使えないのは時代に取り残されるとばかりに、
新製品に飛びつきます。
これは「間違い」ではないでしょうか。
それでは、将来にむけてどうしたらよいのでしょう。
私は、今後、開発される機械の設計に対して、「どう工夫すれば使いやすくなるのか」
あるいは「誤った操作をしないで済むのか」といったことを利用者がどんどん提案するような
仕組みができればいいなぁと考えています。
機械の操作が分からなくて「間抜け」と言われたり、「間が悪い」といった思いをしなくて済むように
なりたいですね。
(現代社会学科 細田 聡)