「和製」クラプトンと呼ばれるのは不本意だったという。柳ジョージ。享年63歳。ストラトをこれだけ唸らせることができる⼈を他に知らない。
20年ほど前の夏のある暑い⽇、スーパー「⾦平」の真正⾯のマンション「ニューライフ⾦沢⽂庫」のゴミ置き場。全⾝⽩づくめの出で⽴ちで、かれは奥さんとともにひっそりとタクシーを待っていた。たまたま通りかかった斜め下の住⼈に、恥ずかしそうに会釈した、そのしぐさが忘れられない。
それから10年ほど後のオクスフォード。マンスフィールド・カレッジで出会ったヒューイは、静かにかれの⾳楽を語ってくれた。「ところで、クラプトンを知ってるかい?」唐突な問いに驚きつつもイエスと応えると、「おれはかれとバンドを組んでいたんだ」。禅をこよなく愛するかれは、ひとしきりクラプトンとの想い出を語った後、深く⼤きな息をしてインタビューの終わりを告げた。
なるほど、ブリティッシュ・ロックとは、そういうものだったんだろう。本牧とは、そういうところだったんだろう。チャブヤのアンビバレンツをブルースに託し、フェンスを越えようとしたちょいワル。そんなかれと、そしてヒューイとともに、Weeping sociologically in the rain。