先日、3年専門ゼミ生と、横浜市にある寿町の見学に行ってきました。寿町は東京の山谷、大阪のあいりん地区と並ぶ、日本の「三大ドヤ街」として知られた地区です。「ドヤ街」(※注1)とは、主に簡易宿所(※注2)が密集していること、高度経済成長期に建設業に従事した日雇い労働者が住んでいること、単身の男性が持つ課題(高齢化・身寄りがない・生活保護・アルコール等の疾病・不法行為)が集積していること、などのイメージで語られることが多いです。
今回、寿福祉プラザ相談室の相談員の方に街案内と講義をしていただくことができました。講義で初めて知ったのは、寿地区の成り立ちが江戸時代の埋め立てにまで遡ること、江戸の開国、そして太平洋戦争終結時の横浜港接収(連合国軍による強制収用)が大きく関係しているという歴史でした。戦後、急速に労働者が集結し、簡易宿所が形成されていったというのは事実ですが、その背景には、官主導・政策的にこの地域が作られたというのも、なかなか知られることのない大きな事実です。職業安定所が桜木町から寿町に移転し、簡易宿所もそこから急増したそうです。
街歩きでは、現在老朽化により建て替えが進んでおり、新築の簡易宿所は外見からは立派なマンションに見えました。しかし中は約3帖(5㎡)の居室に共同炊事場・コインランドリー等で、長期的に暮らすには不便であることを教えていただきました。学生らからも「新しくなっているものには安心したが、そこに住む人たちの苦労や不安は如何ほどのものだろうか、足を踏み入れなければわからないだろう…」といった感想があがりました。また横浜市の福祉事務所の職員、寿福祉プラザの方々の社会運動ともいえる活躍に感銘を受けておりました。
この寿町を巡っては、『戦後直後~高度経済成長期に日雇い労働が集まり、みなとみらい地区などの建設業が盛んであった頃は活況を呈していたが、その後のバブル経済の崩壊と高齢化により、現在は生活保護受給者の街』として紹介されていますが、一昨年、とある有名実業家が「景気が良かったころに資産形成をしてこなかった人たち、貧困は自己責任」という発言をテレビでしたことが話題になりました(詳しくは『貧困はやっぱり自己責任だろう』で検索してみて下さい)。
しかし現在、寿町の簡易宿所利用者5800人強のうち、高度経済成長期の日雇い労働者であった人は少人数だそうです。当時の方の多くは亡くなっており、現在、地区の65歳以上人口の比率は56.5%と超・高齢化(全国平均の倍)ですが、ほぼ、横浜市外から移り住んできた人たちで、20代の若者もいます。つまり、この地区の生活保護や貧困の問題は、もっと別の、寿を目指して移り住んでくる人が持っている、様々な福祉ニーズの絡み合った問題であると言えます。家族や身近で支えてくれる人がいない、環境になじめない、排除や権利侵害を経験している人など、個別の、複雑な事情を抱えている人がほとんどの場合、支援やサービスにつなげることは容易ではありません。先のテレビ番組を見た時に、途方もない違和感を覚えましたが、今回、寿福祉プラザの方に講義していただく中で、現在の状況を正しく掴むことと、個々の人々の顔を知ることの重要性を、改めて学生とともに考えることができました。講師の方が、「寿地区は『入りやすく、出にくい』」とおっしゃっておられましたが、私自身、200m×300mの地域を小一時間歩く中で、「出られない」ような不思議な感覚がありました。横浜にある大学としては、学生らとともに積極的に関わっていけるように考えたいと改めて思います。
※注1…現在「ドヤ」は差別語、不快用語。(共同通信『記者ハンドブック』2016年第13版)「ドヤ」の語源は諸説あるが、「宿(やど)」の逆さ言葉、つまり「やどに満たない、人の住む場所として不十分である」という自嘲的な意味を持って居住者らが使ったと言われている。
※注2…旅館業法に基づく宿泊施設、約3帖の居室に共同のトイレ・炊事場・コインランドリーで一泊1000~2000円前後。多くの人が長期的に滞在するため、生活保護の住宅扶助基準に相当する金額となっている。自炊するには難しく、要介護状態になった場合、スペースがない。
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横浜・寿町
教員コラム
2018.03.07