右の写真は、私が所属している学会が編集・発行している学術雑誌です(日本教育社会学会の『教育社会学研究』、
日本社会学会の『社会学評論』、各最新号)。ともに、発刊から60年を迎え、日本の学会誌としては古い方に属します。このような雑誌に掲載されている論文が、いわゆる「学術論文」です。今では、「象牙の塔」を飛び出し、学生はもちろん、誰でも手に取ることができるようになっています。『教社研』は、大きな書店に行くと、他の書籍と一緒に販売されており、ふつうに購入することができます。CiNii(文献データベース)で閲覧・出力も可能です。大学のユニバーサル化や図書館の発達、生涯学習の浸透、情報化、消費化などとも関連しますが、「学問する」ことは、以前よりも自由になったということなのだと思います。
話は変わり、私事で恐縮ですが、私は学部生の時、文化人類学を主とするコースで学びました。大学院は、都市社会学の「牙城」と言われる教室で、他に、環境、ジェンダーの第一人者と言われる方々にも学びました。しかし、学会長が6人もいる恵まれた環境でありながら、正直、面白さを感じることができませんでした。そんな時、指導教員(森岡清志・現放送大学教授)が「君は教育をやるといいよ」と勧めてくださり、修士論文を執筆したのが教育社会学を始めた第一歩です。学生のみなさんの話を聞いていると、自分に違和感を持っている人が少なからずいるようですが、その気持ちはよく分かります。服装などもそうですが、自分の選択だからといって、自分に合っているとは限らないのですね。
教育社会学は、「教育」と「子ども・青年」に関する諸事象を考察する、社会科学の一領域です。幅広く、多彩であり、社会を読み解く経験科学としての側面と、現状を分析し提言を行う政策科学としての側面があります。「未来志向」と「実証主義(Positivism)」が特徴と言えるでしょうか。蓄積も豊富で、色々なことができます。学校について考えることも、子どもについて考えることも、OKです。「ゆとり教育」について考えてみたいと言ってゼミに来て、優れた卒論を書いて卒業していった学生もいました。「昨日、寝てません!」と言いながら、楽しそうに取り組んでいたのを思い出します。そんな学生がもっともっと多くなるよう、教育・研究に精進していかなくてはと考えています。