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宮城県石巻の震災と復興

教員コラム
2015.05.29
現代社会学科
橋本和孝

 私の祖父は宮城県石巻市の出身です。私も小学校の頃から幾度となく訪問してきました。2011年3月11日の東日本大震災で、生命は免れましたが、被災に遭った親戚も複数おります。先祖の墓も流されました。この文章は、社会学者としての意見ではありません。石巻に関係する者の一人としての映像記録です。おいそれと研究できないからです。
 
 石巻には「斎太郎節(大漁唄い込み)」にも登場する日和山(ひよりやま)があります。最初の写真は、そこから写した1969年頃の北上川河口と中洲です。8月の川開きの日、浴衣を着て見上げた花火大会が懐かしいです。
 
写真1 北上川1969(400)
 
 その石巻は、3.11で大きく被災しました。私はその日シンガポールにでかけており、あの日のテレビから流れる震災のひどさを忘れられません。帰国後、4月17日、まだ新幹線が走っていない東北道をバスで乗り継ぎ、親戚の見舞いに上がりました。その被災の様子は、中洲と湊小学校の写真で見て取れます。同い年の親戚が避難所運動でがんばっていました。
 
写真2 3.11後中洲(400)
3.11後の北上川中洲
 
写真3 3.11後湊小学校(400)
3.11後の湊小学校
 
 8月6日、有名な仙台七夕の初日、再び親戚の見舞いに上がりました。認知症で私のことがわからなくなっていたおばが、私を識別したことが忘れられません。90歳を越えて日和山に津波から逃げたそのおばもその後亡くなりました。石巻駅周辺は大分復興し、仙台と石巻を結ぶ仙石線も陸前小野ー石巻間で、ディーゼル運転を行っていました。しかし、北上川河口は瓦礫の山です。
 
写真4 20118月石巻駅(400)
2011年8月 石巻駅
 
写真5 20118月河口(400)
2011年8月 北上川河口
 
 その後、おばの葬儀で石巻を訪れましたが、今年(2015年)5月私の所属する学会にあわせて石巻を訪問しました。ちょうど石巻高校出身の中村雅俊が日和山に来ておりました。親戚も既に平常生活に戻り、気になっていた墓も幸い墓石が見つかりました。大好きな三陸名産ホヤも満喫できました。ひどい被災をうけた河口あたりも賠償があり、嵩上げ公園になるようです。中洲も復興しつつあります。ある研究者が、東北の震災「復興が早すぎる」と述べていましたが、恐らく市民を巻き込んでいないという指摘だと思います。ただ市民の感情としては、「遅すぎる復興では困る」というところではないでしょうか。仙石線も5月30日全線開通します。
 
写真6 2015年5月河口(400)
2015年 北上川河口
 
写真7 2015年5月中洲(400)
2015年 北上川中洲
 
 
 それにしてもある飲食店に記されていた津波の高さが、その激しさを示しています。
 
写真8 津波の水位(400)
 
 
 
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