教員紹介

社会学部教員コラム vol.63

2014.03.21 現代社会学科 新井 克弥

ホームレスの女の子が教えてくれた旅の意味~カルカッタ追想

これはもう30年以上も前の話である。

 

大学生だった僕は、初めて海外、インドの地をバックパッカーとして訪れた。降り立ったのはカルカッタ(現在のコルカタ)。到着するなり驚かされたのは、あふれるほどのホームレスの数(当時は本当にホームレスが多かった)だった。通りを歩いていると、次から次へと「バクシーシ」(「お恵みを」の意味)と喜捨の声をかけられる。その凄まじさに初心者かつ幼稚だった僕は、当然のことながらこれに圧倒され、ビビっていた。

 

そんな僕に処方箋を示してくれたのはゲストハウスのヒッピーっぽい日本人だった。彼、曰く。「ホームレスに絶対、喜捨してはいけない。」一人にお金をあげた瞬間、自分にもよこせとばかり周囲のホームレスが押し寄せ、収拾がつかなくなるというのだ。パニック状態だった僕は、とにかくこの教えを守り続けることにした。

 

とある日のこと。通りを歩いているといつものように僕のところにホームレスが喜捨にやってきた。女の子、8才くらいだろうか。上半身裸で赤ん坊を抱いている。彼女は悲しげな顔つきでしきりに喜捨を求めてきた。

 

かわいそうだとは思ったが、僕は自らを守るため当然これを無視することにした。しかしである。彼女は辛抱強く、どこまでも、どこまでも後を付けてくるではないか。2分、3分、気がつけば10分以上も彼女は僕を追い続けていた。赤ん坊を抱えているのだから、だんだんと腕がしびれてくる。彼女の表情はまさに悲惨を極めはじめた。

 

さすがに見るに見かねた僕は、とうとう根負けしてしまい、彼女を通りの影に誘うと、他のホームレスに見つからないように注意しながら彼女の手にそっと10ルピーを手渡したのだ。彼女は軽く微笑みながら、しかしカネをひったくるように受け取ると、やっと僕の元を去っていった。「子どもとはいえ、この国の貧困は厳しい。それにひきかえ自分は、日本で甘えた暮らしに浸っている……しかも保身しか考えていない」肩の荷が下りホッとしたと同時に、自分の身勝手さに少々自己嫌悪に陥るほど、僕は落ち込んだ。

 

数日後、僕はまだカルカッタにいた。やっと馴染んだ場所から移動するにはまだちょっと勇気が足らなかったのだ。いつものように何のあてもなく市内を徘徊しはじめる。そしてニューマーケットの前までやってきた時のことだった。突然、腰に衝撃が走った。誰かが僕に蹴りを入れたのだ(とはいっても、痛いと言うほどではなかったけれど)。驚いて振り返ると、そこに立っていたのは……このあいだのホームレスの彼女。実行者は彼女に間違いはなかった。

 

彼女は僕に向かって再び「バクシーシ」と喜捨を求めてきた。ただし今回は全然、説得力がない。声は大きく、明るく、しかも顔には満面の笑みを浮かべているのだから。それはようするに、僕へのあからさまな蔑みに他ならなかった。

 

状況を理解できず、ただただ唖然とするばかりの自分。しばし眼はうつろ。だがそんなボーッとした眼線は、気がつくと、その先の一人のホームレスの男の子に焦点を合わせていた。彼もまた白人バックパッカーに喜捨を求めている。その眼差しはあの日の彼女と同様、哀願する、そして生活の悲惨さを訴えるそれだった。そして……その裸身は、やはりあの日、彼女が抱えていた赤ん坊を、そう、まさにまったく同じ赤ん坊を、同じように腕に抱えていたのである。

 

その瞬間、僕はすべてを理解した。そして自分の了見の狭さ、そして幼さを嫌というほど思い知らされた。彼女たちはホームレスという職業のプロ。こちらの貧困に対するステレオタイプを熟知しており、そこに付け入って究極の貧困を見事に演じてみせたのだ。悲惨な顔つき、そして赤ん坊という商売道具。社会への適応力では、彼らの方がよっぽど大人で、僕は子ども、このことはどう考えても明らかだった。(もちろん、彼らの環境が劣悪で、貧困にあえぐ人々の子どもたちの多くが成人に達することもなくこの世から去って行くという、厳しい現実が変わるわけではまったくないけれど……)

 

呆然としていた僕。だが、しばらくするうちに、不思議なことに、なんともいえぬ爽快さを感じている自分に気がつきはじめた。現実社会の厳しさを生き抜くたくましさ、そしてしたたかさ。見事にだまされたことがむしろ、心地よい痛みにすら思えてきたのだ。と、同時にそれまでよそよそしかったインドが、突然、身近なものとして僕の前に広がって見えたのだ。

 

翌日、僕はカルカッタを後にする。その時、僕のインドの旅が始まったのである。そして30年後、今でも、その旅は僕の中で相変わらず続いている。

 

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