教員紹介

社会学部教員コラム vol.14

2010.07.08 現代社会学科 大澤 善信

ワールドカップ雑感?<後編>


昨年8月に本学で開催された「ふれあい祭り」

〜横浜Fマリノスふれあいサッカー教室〜

 

サッカーJ・リーグが誕生した90年代は、ちょうど社会学シーンにグローバリゼーションという言葉が登場した時です。わたしたちが目の前の球技スペクタクルに心を奪われていた頃、旧ユーゴスラビアでは東欧民主化とも呼ばれるグローバリゼーションの大波が押し寄せるなかで、多民族の連邦国家は分裂し、内戦が勃発しました。そして、その10年に及ぶ一連のユーゴスラビア紛争では、セルビアが他民族共和国を弾圧しているというのがマスコミを介した世界的論調でした。「アウシュヴィッツの再現」とも言われた、「人権」をないがしろにする極めて残虐な事態がありましたが、それはすべてセルビア軍の所業とみなされていました。

 

ストイコビッチは、コソボ空爆に対して、「NATO Stop Strikes」(NATOは空爆を中止せよ)とアンダーシャツに書いて抗議しましたし、雑誌にセルビア擁護の投稿もしていました。しかし、メディアにおいて、セルビアを擁護する声はセルビア制裁の声に封殺されていました。

 

内戦の最終局面では、ドイツの「緑の党」がNATO軍のコソボ空爆を支持し、さらにドイツは平和主義を捨て集団的自衛権を行使して参戦しました。市民団体が賛同したことはセルビア制裁の正当性を極め付けにしました。オックスフォード大学は、世界的な哲学者を招聘して公開の連続講座を催しましたが、セルビア軍による人権蹂躙(じゅうりん)を前提にしていました。(『人権について−− オックスフォード・アムネスティ・レクチャーズ』中島吉弘・松田まゆみ訳、みすず書房)。

 

思い起こすと、その頃私は、新聞に掲載された大江健三郎とスーザン・ソンタグとの往復書簡において表明されていた、ドイツの参戦を評価し、暴力に対して暴力を持ってするしかない場合もあるのだという意見に自分を委ねてしまっていました。ストイコビッチに同情を寄せながらも、自分で考えることをせず、いわゆる西側世論の大勢を背景に権威ある意見に身を委ねてしまっていました。

 

しかし、その後、ドイツはとどまることができずアフガンにも参戦することになるし、NATO軍がセルビアで劣化ウラン弾を大量に使用したことも知られてきました。暴力行使の負の連鎖は延々と続きます。正義の名を冠していようと暴力は暴力でしかないのです。その連鎖は、今世紀はじめにはこの国にも及び、半世紀のあいだ標榜してきた平和主義にも深い陰りがさしています。

 

この間、サッカー好きで映画好きのかつての教え子が諭すように教えてくれた映画『あなたになら言える秘密のこと』(2005年/スペイン)を見ました。(暴力がもたらすのは何であるのか、またそこでは、クロアチア人のハンナを蹂躙したのはセルビア軍ではなくクロアチア兵でした。)これから、10年前はプロパガンダに流されて耳を貸さないでいたペーター・ハントケ著『空爆下のユーゴスラビアで−−涙の下から問いかける−−』(元吉瑞枝訳、同学社)を読もうと思います。ゼミ生にストイコビッチのことを話すのは、それからにしましょう。

 

(現代社会学科 大澤善信)

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