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真田信繁について

教員コラム
2017.01.27
現代社会学科
中村 克明

 私は、図書館員を養成する司書課程の教員をしています。でも、図書館以外にも歴史が好きだったので、日本の政治史や文化史も勉強しました。今日は、ある有名な人物について述べてみたいと思います。
 
 私の故郷は、長野県上田市です。上田市の出身の有名人としては、日本で最初に議会制度を唱えた赤松小三郎や、日本人で初めてノーベル賞候補になった山極勝三郎などをあげることができます。しかし上田市で最も有名な人物といえば、何といっても大河ドラマ「真田丸」の主人公・真田左衛門佐信繁(幸村)でしょう。私の先祖は、真田家と対立していた豪族・村上義清の家臣でしたから、真田家は中村家の敵方に当たります。しかしご先祖様には申し訳ありませんが、私は小さな頃から信繁が好きで好きでたまりませんでした。私にとって、信繁はまさに歴史的英雄だったのです。
 
 確かに彼は武士(軍人)であり、たぶん戦(いくさ)も嫌いではなかったと思います。その点は、私は評価しません。なぜなら、私は戦争も軍隊も、大嫌いだからです。ではなぜ、信繁が好きかというと、武将としての信繁ではなく、“少人数で大勢力を撃退する”“権力者に真正面から立ち向かう”“信念を貫き通す”といった人間・信繁に魅かれるからです。そして、最後まで“勝利”を信じて諦めずに戦う姿には、美しさと清々しさが感じられるからです。実際の信繁は、さえない小柄な人間だったと推測されます。あまりに貧相だったために、門番に止められ、城の中に入れてもらえなかったという逸話も残っているくらいです。でも、その内面は外見とは違って、鉄の信念と人を惹きつけてやまない強烈な魅力の持ち主だったのです。
 
 よく信繁は最初から敗けるとわかっていたのに、あえて豊臣に味方したといわれることがあります。しかし、それは大きな間違いです。信繁が一貫して“勝利”を信じて戦ったことは、大坂夏の陣で西軍の多くの武将が敗走し、大坂城に戻ってきたのに対し、信繁は徳川家康を倒すことをひたすら目指して、真田軍壊滅のあとも一人で戦場を駆け回っていたところに明らかです。信繁は結局、家康を討ち果たすことはできませんでしたが、彼は亡くなる直前まで“勝利”を信じ、それこそ全身全霊を傾けて家康打倒に集中したのです。目標を持った人間の強さがここに現れています。彼の頭の中には敗けるなどということは全くなかったと思います。そのためでしょうか、信繁に対し、ある有力大名は次のように述べています。“信繁を英雄と呼ばずして、誰を英雄と呼ぶのか”と。
 
 さて、皆さんの地元の英雄は誰ですか。地元の英雄を皆さんも調べてみませんか。その際、役に立つのは図書館です。図書館は必ず、皆さんの強い見方になってくれるはずです。さあ、英雄探しの旅に出かけてみましょう。
 
 
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